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(mixi6月15日分より) 以前の日記にも書きましたように、中沢健なりの北野映画全作品、感想レビューを書いちゃいました。 こういうのは正直に書かなくちゃ意味がないと思っているんで、お世辞とかは抜きで、正直に駄目だったと思う部分、納得いかない部分については、好きじゃないとハッキリ書いちゃいました。 中沢健ふぜいが偉そうに!という気持ちは自分でもありますが正直に正直に、これからも映画レビューのようなことはしていきたいですね。 一応、過去には仕事で何度か映画レビュー、批評なこともさせていただいたことありますが(最近はすっかりご無沙汰ですが)、映画について語るのは楽しいし、またそういう機会をいただくためにも今後もmixiという場でも映画感想はときどき書かせていただきます。 約束通り、次回はゴジラシリーズ全作品感想をしたい!! ちなみに今回の感想は第12作、タケシズまでです。 監督ばんざい!はまだ未見(今度の土曜日に見てくる予定!)なので、見た後にたぶん日記にも書くことでしょう。 あと、思いっきりネタバレな箇所もあるので、これから北野映画全作品見てみたいと思っている方は読まない方が良いかも。 まぁ僕は北野映画は2作品を除くと、どの作品も5回以上は見ているけど毎回面白いので、ある程度のネタバレも平気だとは思いますけど。 この感想を呼んで、北野映画に興味を持った方は是非、レンタルなどして見てみてください。 というか・・まだ未見の北野映画がある人って、僕からすれば正直羨ましいや(笑) ではでは、中沢たけしによる北野たけし映画レビュー。 ご興味ある方は読んでみてください。 結構長いんで、少しずつ読むとか気になる作品の部分だけ読んでみてもいいかもしれません。 あと、マイミクさんで北野映画好きな人いたら、皆さんの感想も知りたいです。よかったら皆さんの感想も教えてくださいね。 やっぱり、好きな映画について語り合うってのは最高に楽しいので!! 【その男、凶暴につき】 この映画を初めて見た時、何かの映画を見た後と同じような爽快感を感じて、思い出してみたら「あぁ、ガメラ大怪獣空中決戦を見終わった時と同じ感覚だ。」と分かった。ガメラ~のがその男~よりも後に公開された映画だけど、自分はガメラ~のが以前に見ていました。 ガメラ大怪獣空中決戦という映画は、そのころ公開されていたゴジラ映画に納得していなかった怪獣ファンの人達にも好評だった。僕はその時期のゴジラも大好きだったけど、平成ゴジラシリーズにないものがガメラ大怪獣空中決戦にあるのは分かった。そのある物の1つというのが、「もしもこの世界に本当の怪獣が現れたらどうなるのか?」というコンセプトであった。その頃のゴジラ映画はゴジラを倒すために国連がメカゴジラだったり、モゲラといった巨大ロボットを開発しているような世界観であったが(一応言っておくとそれが悪いこととは自分は思ってません)、それに対してガメラ大怪獣空中決戦は、本当にこの世界に怪獣が現れたらどうなる? ということを真面目にシュミュレーションしていた。日本の法律の関係で怪獣が上陸しても自衛隊はすぐに攻撃は出来ないとか、怪獣のせいで日本の株市場が混乱するとかを描いたり、怪獣を前にした人は本気で恐怖して逃げ回る・・ある意味、空想科学映画の空想の部分がどんどん大きくなっていっていたゴジラに対して、ガメラはリアルな怪獣映画を目指した。 その男、凶暴につきはそれの警察版なのである。この映画は数ある刑事物の映画やドラマにある空想の部分を小さくして、リアルに作った。 主人公の交わした弾丸が通行人に当たってしまったり、犯人を走って追いかけていた刑事は途中で疲れて歩き出してしまう。 刑事も犯人もいわゆる決めセリフのようなカッコイイセリフや感動を誘うようなことは言わない。 もしも、刑事物で描いているような事件があった時、刑事は、犯人は、市民はこんな感じでしょ? という視点で物語は進む。 もちろん、何よりも大事なのはリアルに拘ったせいで話が進まない、面白くならないという風には決してなっていない(リアルに拘ったせいで駄作になる映画や小説は数多いが)ということだ。 リアルでも面白い。 いや、リアルだからこそ面白いのがガメラ大怪獣空中決戦であり、その男凶暴につきなのである。 北野映画は難解というイメージも世間では強いらしいが、この作品は娯楽映画として相当いい出来だと思う。 また、僕の周りで、特に年配の友人はこの映画を北野映画で1番好きという人が多いのだが、それは凄い分かる。要は公開当時に、テレビでお馴染みのビートたけしが映画を監督して撮った映画を見に行った人にとってこの映画のインパクトは相当なものだったと思うからだ。 僕はお笑い芸人さんの撮る映画というのは凄い興味があって、たけしさん以外の監督作品もいろいろ見ているけど、良くも悪くもテレビでの芸人さんのキャラからは離れていない映画であることが多い。 それに対して、たけしさんの映画を見て、観客はテレビで見るビートたけしと映画監督の北野武はまるで別人格のように思えてきてしまったように思う。 ただ、僕みたいに公開順に映画を見ているわけではない人は、この映画から北野映画の中でも群を抜くようなインパクトを感じることは出来ないのも事実であったりする。 それでも、監督1作目でいきなりこれだけの映画を撮れていたということに関してはやっぱりビックリするしかない。 【3-4×10月】 その男、凶暴につきは公開当時の若者にもウケて、実際なかなかのヒット作だったらしいのだけれど、2作目から北野映画はいわゆる、世間が言う娯楽映画の路線からは違った方向に歩き出してしまう。 ・・と、このように書くと、この映画に対して否定的なイメージを抱いているような感じだけど、僕はこの映画から始まる、王道の娯楽映画からはズレたところに進んでいく初期北野映画は大好きなので個人的には嬉しかった。 ただ、たとえばこの映画のプロデューサーが自分だったら・・と思うと怖いなぁとも思う。「頼むから1作目みたいな分かりやすい娯楽映画を撮ってくださいよ!」と土下座したい気持ちになる(笑) この頃のたけしさんはテレビでの活躍も絶好調の頃で、別に映画で成功なんてする気もないという状態だったのだろう。観客サービスとか、お客さんが喜ぶ映画のスタイルみたいなものは無視して、徹底的に好き勝手にやった結果がこの映画だと思う。 その結果、完成した映画はこれ以上、言葉で説明することが難しい映画はないだろうというくらい、評論家泣かせの映画になったし、僕も友達と北野映画について話す時、この映画に関しては「面白い」とか「凄かった」くらいの言葉しか出てこないのだ。 最近になって、3-4月×10月の予告編を初めて見たけど、この不思議な映画の予告編を作る苦労が伝わってきた。たぶん、ある種のカルト映画のような宣伝の仕方をするしかなかったんだろうけど、この映画って別にストーリー上はシュールなことや難解なことも起こらない本当に単純な物語なのだ。 難解な設定、シュールな物語のために、言葉で説明出来ない作品になるのはむしろ普通のことだと思う。 この映画が恐ろしいのは単純な難しいことなんて何もない物語なのに、狂気のようなものが目いっぱい詰まって、見た者の言葉を奪う映画になってしまっていることだ。 【あの夏、いちばん静かな海。】 実は僕が初めて見た北野映画はこの作品だった。もともとビートたけしという芸人が大好きだった僕だけど、たけしの監督作品はなかなか見る気が起こらなかった。 その理由は2つあって、1つはたけしさんの映画は、テレビと違ってお笑いの映画ではないということ。自分にとって、たけしさんは面白いギャグの人であったから、たけしさんの撮るシリアスな映画というのがどうにもイメージ出来なかったのだ。 そして、もう1つの理由が、北野映画は暴力描写が激しいと聞いていたからだった。ハリウッドのアクション映画と違って北野映画の暴力は本当に痛いと雑誌などに書かれているのを見て、たけしさんの映画を見てみたいけど怖いという気持ちが当時の僕には大きかったのである。 この作品が最初に目にした北野映画になったのは、この映画には暴力描写も、北野映画ではお馴染みのヤクザも登場しない映画だったからだ。 ただ実を言うと、この作品は数ある北野映画の中でも唯一、僕が乗れない作品だった。 何シーンか心に来るシーン、描写があったのは確かなのだけれど、全体的にはちょっと付いていけない世界観に感じてしまった。 ただ逆に、この映画が1番好きというファンが多いのも確かで、それだけこの作品は北野映画の中でも特異な位置に存在しているのだと思う。 いろいろ思うことはあるが、この映画でのラストのシーンは絶対に蛇足だと思う。北野映画初期での主人公の死はもう定番なのだけれど、この映画で主人公を殺す必要性はどうしても感じられないし、唐突にしか思えない。また久石譲の感動を力押しするような美しい音楽が凄い嫌だった。 ラブストーリーというのはそういう物なのかも知れない。僕がこの映画に乗れないのは、単純に僕が恋愛映画が苦手なだけなのかも知れないが、この映画のクライマックスは全く乗れなかった。 せめて、音楽は外すべきだった。この映画は登場人物のセリフは極端に排除しているけど、言葉やウルサイ音、また周囲の風景も自己主張の強くない物で統一させて、本当に静かな映画にしようとしていたんだと思う。 だったら、この映画は2作目同様、音楽はいらなかったんじゃないかと思うのだ。 【ソナチネ】 いわゆる、たけしの暴力映画で初めて見たのがこの作品だった。 この作品を見た時の気持ちは忘れられない。この映画を見た時は月曜日で、その夜にいつものように、たけしのTVタックルを見たが、テレビの中でふざけているたけしさんが、ソナチネを撮った人と同一人物とはとても思うことが出来なかった。 たけしさんがよくネタで「フランスとか行くと、本当に俺がヤクザだと思っている奴がいるんだよ。ヤクザが映画撮ってるんだって。そんなバカなことあるかよ。」みたいなことを言っていたが、僕にはフランス人の気持ちがとても分かる。 正直に言うと、この映画を見てからしばらくの間は僕はテレビでたけしさんを見ていても、どんなにギャグを言っていても怖かった。 よく悪役を演じた俳優を、役とごっちゃにしてバッシングする人がいるという話を聞いて、何てバカな人達なんだろうと思ったが、この映画でたけしが演じているヤクザとたけしさんは被っているように思えてしまうのだ。 何故か? まず、その理由の1つはこの映画で描かれてる暴力には他の映画にはないリアルさを感じてしまうからだろう。 他の映画のように大袈裟だったり、オーバーな表現もなく淡々と描かれる暴力には、実際に暴力を振るわれる時ってこんな感じだよなぁと嫌な記億を思い出させる。 そして、たけしさんが監督脚本も担当しているせいもあるのだろうが、この映画ではたけしさんの考えが、かなり直接描かれているように思う。たけしさん演じるヤクザはたけしさん自身だし、その周りのヤクザは軍団の人達、自分達をはめる敵や上司はテレビ局だったり、マスコミだったりを投影しているように思う。 この映画の序盤でたけしは「もう疲れたよ。」と言う。何もかも嫌になってしまったと無気力なたけしに舎弟のヤクザは「あんまり金持ってると嫌になっちゃうんじゃないですか?」と冗談を言う。 この映画はたけし演じるヤクザがいろんなことに疲れてしまって、最後は自殺をしちゃう映画だ。 約2時間の映画は、永遠にたけしに自殺を勧め続ける内容とも言える気がする。 最後、たけしを待っている女性のところには行かずに自殺をしてしまうたけし。 この映画を見た時、今までたくさん成功して、仲間もたくさんいるたけしさんをただただ羨ましいと思っていた僕は衝撃を受けた。 僕は自殺に憧れたことなど全くない人間だが、この映画を見ていると「そんなに疲れちゃってもう死んじゃえばいいんじゃない?」という誘いを受けているような気分になる。 そう、僕がこの映画を見てからしばらく、たけしさんが怖かったのは暴力描写のせいじゃない、この強力に自死を促すような作品を撮ってしまう、ソナチネで描かれているようなことを頭に入れながら生きているたけしさんに、それまで感じたことない“やばさ”を感じてしまったのだ。 北野映画ベスト3を決めようとしたらこの映画は間違いなく選ぶ1本。 ただ、この映画を見る前は未だにそれなりの覚悟を持たないと駄目で、気楽に見ることは未だに出来ない。 そこが他の好きな北野映画とは圧倒的に違うところで、ソナチネの凄いところだ。 【みんな~やってるか!】 ソナチネで、圧倒的な才能を見せつけた感のあるたけしさんが次に撮ったのは映画史に残る大脱力映画であった。 この映画に関する評価は、あのソナチネの後ということもあり、多くの人に北野映画のイメージをぶち壊させた点、それまでのシリアスなファンを平気で裏切っちゃうようなことをする北野武という人間の無茶苦茶さについて等、映画そのものというより、作家論としての評価をしている人がほとんどだと思う。 北野が撮ったということを意識せずに、一本の映画として見た人はほとんどが、この映画を失敗作として考えているのではないか。 また一方で、お笑いのたけしさんが大好きな人は、この映画だけは好きとベスト作品に推す人もいるが、この映画って、ビートたけしのお笑いっぽいか?と考えるとそうは思えないのだ。 たとえば透明人間になったダンカンが女性の裸を悪戦苦闘する様を描いたシーンがあるが、たけしのオールナイトニッポンやツービートの漫才を聞いている人間からすれば、あまりにも直球なギャグが多くて首を傾げてしまう筈だ。 他にもほとんどのシーンで、センスを感じさせるようなギャグではなく、ベタベタで、くだらないと言われるために用意したようなギャグが、ソナチネのようなテンポとカメラワークで進むのだ。 こんなに冷たい視点で進むギャグ映画もないだろう。 結局、ギャグで誤魔化しているので分かりにくいけど、この映画って実はソナチネ同様、もう全てが嫌になっちゃったというたけしさんの視点で進んでいく映画なのだ。 そして、ソナチネではヤクザの世界という場で自分の状況を描いていたが、ここではギャグ、テレビのようなお笑いを舞台にして、もう全てに疲れちゃった、もう駄目だと告白するたけし。 正直、この映画を見ちゃうと、この人は大丈夫なんだろうか?と心配になってしまう(この映画のすぐ後にあったバイク事故に関して未だに自殺説が根強いのはこの映画の存在が大きいのだと思う。 ちなみに僕自身はあの事故は自殺でないという考えですが)。 ・・と、気が付くと、僕もこの映画に関しては作家論的な視点で見てしまうのだが、1本の映画としてこの映画を楽しむには友達何人かと一緒にビデオで見ながら、そんなに真剣に見ずに「あ~あ、やっちゃった。」と呆れながら見ると面白い。 実際、僕はこの映画をよく友人と一緒に見る。すると幸せな脱力感を毎回感じて、気が付くとこの世界バカ映画ベスト10に入れたくなるこの映画が非常に愛おしくなってくる・・いや、ホントに。
by nakazawa_takeshi
| 2007-06-17 18:38
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