カテゴリ
以前の記事
2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 04月 2006年 03月 お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
最初にも書きましたが、興味ある人だけ読んでくれたらいいですよ。 この映画見終えた後の衝動を落ち着かせるために書いているような意味合いもちょっとはあるような日記でもありますので・・ 「北野映画のファンとして、北野武監督14作目の映画として見た場合の感想」 http://takeshi205.exblog.jp/9317443/ 「芸術を扱った映画としての感想」 http://takeshi205.exblog.jp/9317475/ というわけで、今回の日記は↑のアキレスと亀感想1・2の続きです。 「アキレスと亀の内容の具体的な感想」 最初の日記にも書いたんですけど、今回の映画は重かったんですよね。 いや、ギャグは想像以上にあったし、僕が思わず笑ってしまったシーンの数でいえば北野映画の中でも多い方なんですけどね。 アキレスと亀を見終えて思ったのは、ヤクザは自分にとってはある意味ファンタジーの存在だったんだなってことですね。 たとえば、ソナチネやHANAーBIも重い映画なんでしょうけれど、あの世界ってのは自分とはあまり接点のない人達の話であって、もちろんあの世界観の人達が感じてる息苦しさとかはある程度は共感しつつ見ていたのでしょうが、今回は凄い身近な世界の話を見せられてしまったような感じで、だから重かったんだろうなと思います。 それと鑑賞前に思っていた、今回の映画はキッズリターンみたいな映画なんじゃないのかな? という思い。 これはある程度は当たっていたんだけど、描き方が違う・・というかキッズリターンのラストシーンの先まで見せてしまったことによる重さですよね。 キッズリターンのラストシーンはあれがハッピーエンドだと受け取った人も、バッドエンドだと受け取った人もいると思います。 ただ、たぶん結構な数の夢とか野望とか抱いている人があの映画のラストを見て「俺もまだ始まっていないんだ! これからやってやるぜ!!」みたいな気持ちになったことは確かで、僕もそうなんだけど何かあるとキッズリターンを見てテンションを高めている人(売れていない、もしくはまだアマチュアの俳優、芸人、作家、ミュージシャン等々)いますよね。 僕も何度、飲み屋とかでキッズリターンのラストで盛り上がったことか(笑) けど、キッズリターンが前向きなエンディングと思えないという気持ちの人がいるのはそりゃそうで、あの映画は恐ろしいことに才能のない人間はいつまで経っても始まらないんですよとある意味言っちゃっているような映画でもあるじゃないですか。 キッズリターンを見て前向きになるってことは、俺は始まれる人間なんだと思えていないと成立しない感情だったわけで。 それで今回の「アキレスと亀」だと、芸術で成功しようと頑張るけどいつまで経っても始まれない人の現実を描くじゃないですか。キッズリターンのラストシーンの後に結局始まれなかった人の話なんですよね。 最終的には成功することしないことではなく、やりたいことをやり続けられる環境にいられるのならそれが幸福なことなんじゃないか?とこの映画はキッズリターンのラストを絶望的エンディングと捉えた人にとっても救いを用意しようとしたようにも見えます。 しかし、やっぱりそこで描かれる現実ってのはやっぱり厳しいわけで、芸人の世界なんてもう全く評価されないままボロボロになっても諦めずにやっている人もたくさんいるだろうし、きっと、たけしさんもそういう人は山のように見てきたんでしょうね・・この映画の主人公の描写は物凄くリアルに感じられたし、こういう人、実際にいるんだろうなあと思いました。 この始まれなかった場合の人間を描いた作品を見て、それでもやりたいことをやり続けられるだけの思いを、自分は果たして持っているんだろうか? 何かそういうことを考えると本当に重くなっちゃいました。 初めにも言ったようにヤクザ映画はある意味、自分にとってのファンタジーでしたが、今回の映画はリアル過ぎました。 映画の主人公は芸術家としての成功を目指す男だったけれど、自分も表現の世界で成功したいと思って生きてきている人間ですから、特に青年期の話は、何か自分の身の回りの世界を映画館で見ているような不思議な気分になりました。 個人的なことを言うと、実際に面識のある方も何人か出演されていたこともそんな気分になった理由の1つだったかも知れません。 まず、金子監督のゴジラにも出演されていた仁科貴さんは今回、かなり重要な役で出演されていましたし(仁科貴さんはめっちゃサービス精神の豊富な方で「ねこのひげ」という映画の舞台挨拶を見に行ったら中沢怪獣のあかりを持って壇上に上がってくれたんです。嬉しかったな~)、 そして、そういう意味で大きかったのは電撃ネットワークさんの出演シーンでした。 電撃さんの出演シーンではOTAKUさんの紹介で僕も何度か見学させていただいた東京クレイジーナイトの時と同じように、電撃さんのパフォーマンスに合わせてお客さんがアクションをしますよね。 あのシーンを見た時、自分の中では一瞬本当に「始まれていない自分のドキュメント」を見ているような気持ちになりました・・。 そんな個人的な体験もあって、尚更リアルに重い気持ちで見ることになってしまったアキレスと亀。 劇中、アートの世界で生きていきたいが全く評価されない青年に対して、おそらく優しさで言ったであろうおでん屋のオヤジの言葉。 「お前ら、アフリカの貧困層の人の目の前でピカソの絵とおにぎりを置いたらどっちを取ると思う?おにぎりだろ?」 芸術なんておまえらが思ってるような大層な物じゃないんだ、だからそんな物にこだわらずに諦めて普通に生きなよ・・そんなことを伝えたかったであろうおでん屋のオヤジに青年は言う。「いや、俺はピカソを取る!」 そう宣言をした青年が飛び降り自殺をするシーンは不謹慎かもだけど、ちょっと感動しました。 彼にとっては、生きること(おにぎりを食うこと)よりも、芸術のが大事だから、その世界で生きていけないのなら死んだ方がいいという考えだったのでしょう。 彼は、おでん屋のオヤジが言う多くの人にとっては正論に聞こえる言葉に最後に勝ったんですよね。 初期の北野映画は最後死ぬことによって自己主張を完結させる人達の話が多かったと思います。 死をそんな風に描くと道徳的にどうこう言ってくる人もいるけど、全ての映画がそんな道徳の教科書のようなモラルを守るべきとは僕は思わないし、あのシーンはソナチネを見た時と近い感動がありました。 まあ、でもやっぱり感動しながらも重いわけで、今回の映画では北野映画では久々に主人公も自殺を図るわけですが、北野映画初の自殺失敗が描かれます。 また、これまでの北野映画と違って今回の主人公は自分のラストまで、著名な芸術家のまねから抜け出せていないというのが皮肉的でした。 こんな死に方がアートになると思ったら大間違いだ!というのが監督の声なのかどうかは分かりませんが、主人公は助かります。 助かった後、ミイラ男という古典的なモンスターのような姿になったことが個人的にはクライマックスの感動を盛り上げてくれます。 主人公の真知寿が最後に怪物になることによって、やっぱり怪物は気味悪がれ、嘲笑されるのですが、この映画のヒロインはそんな怪物になった真知寿と一緒に歩いてくれるのです。 このキングコングのラストシーンがハッピーエンドで終わったような、芹沢博士がゴジラと心中せずに済んだようなこのラストのおかげで、僕はこの映画の重さから最後にちょっとだけ開放されました。 まあ、でもキッズリターンの何倍も重くなってしまったこの映画は、僕にとってキッズリターンのリターンのような映画とはなりませんでした。 ただ、この痛く重い映画を大好きだと感じてしまう自分の中にも、真知寿のように始まれなくてもやっていきたいという気持ちがちょっとはあるんでしょうね・・。 ※さんざん語っておいて何ですが、アキレスと亀についてはまだまだ思いをちっとも語りきれない感じです。 でも、キリがないのでこの辺でやめておきます。 この映画の中の問いに対する答えは今後の自作の中で答えられたらと強く思います・・。
by nakazawa_takeshi
| 2008-10-09 04:35
|
ファン申請 |
||