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昨日、電車に乗っていたら映画「それでもボクはやってない」の話をしている人達を5回も目にしてしまいました。 何故、今日はこんなにこの映画の話してる人多いんだろう?と思ったら土曜日にテレビでやっていたんですね。土曜日は恐怖映像100連発は見たんですがそこでお腹いっぱいになってテレビ消しちゃっていました。この映画はDVDで以前にも見ていたんですがもう一回見直しておきたかったなぁとちょっとガッカリ。 そんな話を友人にしてたら「中沢がそういう映画に興味あるのって意外だった。」と言われたんで「何でよ?」と聞けば、「中沢ってテーマ主義みたいな作品嫌いなんじゃないの?」と言われたんですが、そんなことはありません。 ここで僕が好きだと言っても何の違和感も抱かれないゴジラの話にちょっとなりますが、まあゴジラに限らず怪獣物とか特撮ヒーロー物なんかをいつまでも見ていると大抵「いい歳してそんなの見てるの~?」と言ってくる人間が現れてきます。 もちろん、こっちとしても「ジュラシックパークはいいのに、何でゴジラはいかんのさ!」とか「ゴジラが子供だましって言うけどさ、君の見てる今やってる月9のドラマ見たけど、物凄いご都合主義の連続じゃんか!」と抵抗を試みるわけですが多勢に無勢なのか、怪獣物なんてのはいつか卒業するもんだという考えに、初めは周りにたくさんいた筈の怪獣好きも、どんどん怪獣から卒業していってしまうのでした。 まだ小学生の頃は良かったのですが(小学生のうちから、そんな子供騙しな物見て~とか言うてくるやつもいるんですが・・子供なんだしいいじゃんか!)、中学生になると途端に怪獣好きがいなくなります。 これ、原因はいろいろあると思うのですが、どうも異性の目を気にしてくることが大きいような気がします。男としては、いい歳して怪獣物なんて子供の見る物を見ていると、オタクとかダサイとか女子に思われちゃうんじゃないかと、怪獣から卒業しようとするんです。 僕は中学時代、何人かの男子から「誰にもナイショだけどさ、実は僕もゴジラ好きなんだよー。」なんて言われたりしたものです。 ゴジラ好きって堂々と公言出来ないような恥ずかしいことなんかい!と唖然としたものです。 こういった体験をしたことある怪獣好きは昔も今も結構多かったようで、そんな怪獣好きは、怪獣なんてクダラナイという人達への反論としてテーマ性の深い怪獣映画を例に出すようになってきます。 初代ゴジラの持っていた反戦、反核へのメッセージ。ウルトラマンで度々描かれた差別問題を扱った印象的なエピソード・・等々を持ち上げていくうちに、気が付くと、昔は純粋に好きで見ていた筈なのに、純粋に大きな怪獣が現れて大暴れするのを楽しむ娯楽要素の強い作品への評価が低くなりがちになってしまったりします。 平成になってからのゴジラ映画への批判も、まあ世代の問題もあるので、受け入れられない人が出てきちゃうこと自体は仕方ないと思うのですが、「最近のゴジラは反核というテーマが薄れている。」「核の恐怖が描かれないゴジラなんて無意味だ。」なんて意見を聞いたりしちゃうと、いやいや、君達は別に最初は反核というテーマに惹かれてゴジラファンになったわけじゃないでしょう? と言いたくなったものです。 こうなると、今度はテーマ、テーマと口うるさいファンと、怪獣映画は娯楽なんだからテーマなんていらんという人達で、怪獣ファン同士の戦いになってしまうようになったりするのでした。 ・・まあ、僕も学生時代を振り返ればもろにその戦いの輪にいた思い出もあるんですが(汗) まあ、怪獣映画に限らず、映画の評価自体が純粋に娯楽性のみの作品よりも、戦争でも差別でも、環境破壊でも何か大きなテーマがあった方が評価されてしまう傾向があることは間違いなく、映画賞みたいな物もテーマのある映画のが格上みたいな考えがどこか感じられちゃうのは事実。 僕の大好きなお笑いも、社会派の作品みたいなものと比べると格下に見られていると思うし・・。 こうなると、怪獣ファンだけでなく、ありとあらゆるエンターティメントの世界でテーマある作品が素晴らしい派と、説教臭い作品なんていらない面白い物だけ見せてくれよ派に分かれてくる部分があります。 僕もよくそんな論争?っぽい物に参加する機会はあって(主に企画の打ち合わせやイベントの打ち上げ等で)、僕はどっちかというとテーマ主義の作品よりも純粋に面白い物が好きという風な感じに見えていたみたいです。 まあ確かに説教臭い映画は嫌いだし、平成狸合戦ぽんぽことか勘弁してくれよと思ったし、怪獣映画で無理にメッセージ性のあるセリフをクライマックスで登場人物に言わせるような演出はいらないと思った作品も多々あります。 でも、僕が嫌いなのはちょっと作品を崇高に見てもらいたいなあっていう下心で付けられる作品のデコレーションでして、本気でそのテーマに挑んでいる作品は嫌いじゃないです。 84年版のゴジラで核の恐ろしさを言われてもどうにも説教臭い感じがしちゃったけど、初代ゴジラからは説教臭さを感じられないのは、やっぱり戦争に関わった人達が終戦間もない頃に、本気で戦争のどうしようもなさと、平和な世の中であって欲しいという願いを込めて作った作品だからと思うし、私小説の世界もそうだけど、その人が本気で考えていること、願っていることを込めた作品はやっぱり心に響くし、説教臭くないんですよ。 仮に説教だとしても、そこは行列の出来る説教親父の店みたいなもので心地良い説教なんですよ。 新作ゴジラ映画が公開される度に「核の恐怖が描かれていない!」といちゃもん付けてくる人に対して、僕はいつも思っていたんですが、そんなに核の恐怖を訴えて欲しいんなら、あんたもそのために活動しろよ!と。 特に映画評論家?みたいな職業の人間は、世に言葉を発信できる職業なわけなんだからさ、ゴジラに言う前に自分で言えよといつも思っていたんです。 結局、映画とか怪獣とかを崇高にするためのテーマなら僕はいらんです。 でも、本当に平和な世の中にしたい。そのためにゴジラが必要なんだというクリエイターさんがいるのなら、それはもう思いっきりテーマに走ったゴジラを作って貰ってもいいと僕は思います。 ここで話は、「それでもボクはやっていない」に戻りますが、僕はこの映画のラストを見て、この監督は本気でこの映画で世の中を変えたいと思ってるんだなぁと思って嬉しくなりました。 僕の周りでは冤罪であることが認められないまま、終わってしまうあのラストに納得いかない、後味悪いよハッピーエンドにして欲しかったという意見も多いんですけど、確かに映画は純粋に娯楽と考えるんなら、もう冤罪の主人公に感情移入させて、状況に怒りをたくさん感じさせて最後に救いを描けば、客は気持ちいいだろうし、悪い気持ちにもならんと思います。必殺仕事人とか耐えて耐えて最後に逆襲ってのは娯楽の王道パターンですからね。 でも、現実の世界での酷い状況を変えるために作品を作るんなら、あの後味良くないエンディングが正解だと思うのです。 あそこでハッピーエンドだとお客も「良かったー。」と問題が解決しちゃったような気分になっちゃって、現実の問題についても解決しちゃったような気分になっちゃうんですよね。 あのエンディングのおかげで、映画を見た人はより深くこの問題について深く考えるようになると思うんです。痴漢冤罪という多くの人にとって完全に他人事と思えないテーマのせいもあるんでしょうが、この映画には本当に世の中を良く変えるキッカケになるようなパワーを感じて僕は嬉しかった。 作品を崇高に見せるためだけのテーマなんていらんけど、自分が生きてる世の中を少しでも良くしてくれるかも知れない作品に出会えるというのは、これはエンターティメントとしても成立していると思う。 そう、僕にとって「それでもボクはやっていない」は出来のいい、出会えて嬉しい、エンターティメントでした。 ・・実は、僕は小説家というか本を書く人自体には幼稚園児の頃からなりたいと思っていたけど、実は一度だけそういった作品を作る職業でないものになってみたいと心動かされた職業があります。 小2の時、僕は「科学者」という仕事に惹かれていました。いろいろと不安がある世の中を楽しくするには科学者になって、自分の理想を実現するための発明でもするしかないと思ってました。 でも、そんな時、僕は図書館で「海底2万マイル」というSF小説に出会ったんです。 物語も面白かったんだけど、何といっても僕が感動したのはその「あとがき」でした。 あとがきには、このような意味のことが書かれてました。『この小説が書かれた頃にはまだ海に潜る船、潜水艦も存在していませんでした。しかし、この海底2万マイルを読んでノーチラス号のような船を作りたいと思った人達が夢を実現して潜水艦を発明したのです。面白い物語は現実も変えてしまう力を持っているのです。』 それを読んで、僕一人が科学者になるよりも、作品を作ってそれを見た多くの人達に「こんな世の中になったらいい。」「こんなことはなくしていかないといけない。」と思ってもらい、たくさんの人達の力で世の中を変えていけた方がいいなあと思ったんです。 そんなわけで、実は僕はテーマ否定派どころか、自分の直球なテーマをぶつけた作品を世の中に出していきたいと思っている派なのでありました。 まぁ、毎回そのテーマを込めようとか思っている人間ってわけでもないんですけどね。 ・・何だかえらい長文になってしまいました。 普通なら、ここで、じゃあ、その僕が発信したい、訴えていきたいテーマについてもここで書くべきなんでしょうが、それを書き出すとまたとんでもなく長くなるのでその話題はまた、どこかで(政治家でなく科学者になりたかったというのが大きなヒントになっていますが)。 まあ、もう22年以上、自分の中で一番大きな問題なだけに、これからも、そのテーマは大事にしていきたいなあと思います。 そんなわけで結論としては「それでもボクはやっていない」を撮った周防正行さんみたいな人が僕は大好きってことです。 映画とか小説とか漫画とかは、娯楽主義の作品もテーマ主義の作品も僕達を楽しくさせてくれるために頑張ってくれる、素敵な仲間なんだなあ!!
by nakazawa_takeshi
| 2008-03-04 02:29
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